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Diary

by Masami Hioki
hellohioki

旅の写真家

いろんな国の写真を撮っていきたいです。

舞台撮影

演奏会、個人リサイタル、演劇、発表会、その他

Docodemoスタジオ

出向いて撮影いたします。
個人出張撮影から学校や会社の団体写真の撮影、旅行などの移動時の撮影


■プロフィール■

1964年
静岡生まれ、A型の乙女座です。

1974年
家で買った通称「ピッカリコニカ」で親戚の犬や車を夢中で撮り始めたのがこの頃でした。

1979年
念願の一眼レフ「キヤノンAE-1」を購入。それでも撮るものは相変わらず車と友人ぐらい
だったような気がします。この頃より洋楽にはまってました。

1981年
学校の帰り道に立ち寄った本屋で浅井愼平氏の写真集を観て衝撃を受け、カメラマンになろうと決意!最高級一眼レフ「キヤノンF−1」も購入。今思えば大バカ者ですが、このカメラだけは今でも大切に時々使ってます。池中弦太にもはまった頃です。

1984年
写真専門学校へ行きたかったのをがまんして、千葉県にある淑徳大学へ。入学と同時になぜか空手部に入部してしまい地獄の日々が、、、。その甲斐あって全日本学生空手道選手権に出場するのですが、真っ白に燃え尽きてしまい、残りの3年間を燃え糟のように過ごす事になってしまいました。ちなみに卒業論文は社会福祉学部にもかかわらず「徒然草にみる吉田兼好の不完全の美学」だったのを覚えてます。

1987年
周りの友人が就職活動をするのを横目で観ながら、この先どうしたものか?と自問する日々。そんな時、ゼミの先生から能のハンガリー公演に出演するので一緒に来ないかと誘われ、思い切って同行。すべてが新鮮でまさに人生を変える旅となりました。帰国後に偶然観たテレビで浅井愼平氏がカメラマンになりたかったらぐだぐだ言わずにまずはリングに上がってみなよ!と言っていた。よし。師匠がそう言うならと。卒業式から数日後、ハンガリーで撮影した写真をもってアサヒカメラ編集部へ。ギャラリーページに採用され、それを観たギャラリーから仕事がやって来て、プロカメラマンとして第一歩が始まりました。

1988年
ポジフイルム200本持ってオーストラリアへ。ワーキングホリデーという仕事が出来るビザが災いしてずーと観光写真屋さん生活。それでも素敵な友人とブレッソンの写真集と出会いモノクロ写真と決定的瞬間の虜に。素晴らしきコアラ生活。

1989年
1年3ヶ月のオーストラリア生活にピリオドを打ち、日本へ戻る途中に立ち寄ったタイランドでアジアの虜に。特に山岳地帯の電気も何もない生活にはカルチャーショックを受けるが、観光化による村の人々の生活や心の変化を観てしまった事はさらにショックだった。

1991年
アメリカ、アジア、ヨロッパ。旅から旅へカメラを担いでの生活が4年間続く。お金もなくきつく辛い日々でもあり、残った写真も今観ればほとんどダメ。ああ、若かった。

1996年
人助けの為に出かけたニュージーランドの帰りに立ち寄った、フィージーで運命的な?出会いがあり結婚と至る。そしてフリーランスのカメラマンから経済的に安定したサラリーマンカメラマンと。それでも年に1〜2度はアジアへ取材に行かせてもらってました。感謝!

2003年
気がつけば3人の娘の父親になっておりましたが。長い冬眠から目覚めて再びフリーランスとなり日置愼光写真事務所を設立。(現実には自由はないのでが、、、)

2007年
みなさんのおかげで今日も元気に撮影させてもらってます。謝謝。


写真展風景